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    かしこくなりたい

    • 2013.06.27 Thursday
    • 00:30
    小学校ぶりだろうか、『スイミー』に再会。
    ”ほんものの”スイミーに出会ったのは、福島の水族館。
    これはきっと何かのタイミング、
    その1週間後、”ほんとうの”スイミーに再会することになった。

    渋谷Bunkamuraでレオ・レオ二展があるんだって、
    しかも、東京に行く予定だった日の2日前に始まるなんて。
    ほんの一時間ほどの滞在時間は駆け足だったけど、
    図録を買うことにすれば諦めもつく、それなりに十分に味わうこともできた。
    もちろん、時間のある人にはゆっくりゆっくり滞在してもらいたい空間。
    ところどころ置かれたベンチではもちろんレオニの絵本がじっくり読める。

    レオニとの出会いは小学校。じつは『スイミー』よりも
    『アレクサンダとぜんまいねずみ』の印象が強かった。
    「たすけて、たすけて、ねずみよ!」の始まりは、
    友達が繰り返し読んでたことも強烈な思い出だけど、
    小学生ながらにそのドラマチックな導入に魅せられていたのかなぁ、
    なんて、今だから思うのか。

    だけど、かわいいねずみや美しいコラージュのその奥に、
    実は作者その人の哲学や思想や人間臭さが隠されていたなんて。

    ただただ、ほのぼの、癒されに行こう、って思っていた展覧会、
    思わぬ核心に触れられ、涙が出そうになる。
    表現したいことって、言葉だけでは伝わらなくて、
    たとえばそれが美しい絵画だったり映像だったり、
    ちがった言葉で書かれた物語だったり…
    求めすぎても出会えなくて、ふっと力を抜いた時に心にも隙間ができて、
    すぅっと染み込んでくるようにして、受け止めることがようやくできた。

    レオニの作品を通して見えてくるのは、まぎれもない「自分」。
    どうして、ねずみやワニや魚が、自分と結びつくのか?
    人物に自分を重ね合わせることは難しい、動物や「ぽとっと落とした丸」ならば、
    たちまちそれになりきって想像の世界に入っていける、と作者は言う。
    「子どもは」とも言っているけれど。

    無意識に想像の世界に入り込んでしまった私は、
    感情移入するというのではなく、客観的に自分を見れた。
    そんなに感情的な作品じゃないところが良かったのかもしれない、
    あまりに感情的で自分の世界に閉じこもっていた自分を、切り離すことができた。

    大げさに言えば自分との再会、のその次の段階に『スイミー』は位置づけられる。
    展覧会の日はそこまでたどり着けなくて、
    プロジェクターで映し出されたデジタル水族館に、こどものようにはしゃぐだけ。

    何年ぶりかに読んでみようと、ちいさなペーパーバックを買って、
    次の日の昼、ピクニックのおともに。
    一人になりたくて山奥に車を走らせ、さらに細い山道を抜けた先。
    ごうごうと流れる滝の横に特等席を見つけ、声に出して読みあげた。



    知恵と勇気を身につけることが、スランプのようなここ数ヶ月の解決策であり、
    それを分かち合うことが、これからの自分の課題。

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