スポンサーサイト

  • 2015.10.31 Saturday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -
    • -

    写真じゃあにい

    • 2015.10.31 Saturday
    • 10:32
    荒井良二『ぼくの絵本じゃあにい』を読んだ。

    いちいちつまづいてるから、読書もリハビリの域をなかなか出られない。
    わくわくする時間を大切に、反省は少なめに...

    いつもわくわく楽しくすごしたい。
    それが難しいことだっていうのは思い込みかもしれないけど、
    日常を楽しむ術はいくらだってあるはずなのだ。
    荒井良二さんがワークショップを楽しむコツに、
    ルールを設けるということと、
    日常(こどもの場合は家庭や学校)を持ち込まない、
    というのをあげていた。
    それって仕事にもきっと当てはまるんじゃないかなって思ったり。
    ただ、繰り返していくことでなんだってルーティンになってしまうから、
    そこから脱皮していくために苦しいことだって出てきてしまう。

    旅に出たいな。そのための日常だったら我慢できたのかな。
    良二さんは旅先で写真を撮らないと言っていて、
    絵が描けるならそれもかっこいいなあと思ったけれど、
    方法は人それぞれ、私は写真に残しておいてよかったなぁと思う。

    2009年7月26日@Gangaillo, Midi-Pyrennee, FRANCE
    もう、6年も前になってしまった。
    振り返ってばかりがよいことではないと思うけど、
    心の澱をすくい上げるような気持ちで開いてみたら
    砂の底に宝石がまじっていたような写真。
    この森は今もこのままここに、あるのかなぁ。


    2009年7月26日@Gangaillo, Midi-Pyrennee, FRANCE
    ちょっとイタイ思い出とともに思い出したぶどう畑。
    この数日後、火の不始末で火事になってしまったのだ。
    夢のようだったけれど、それでも確かに存在した日々。
    日常を旅のように楽しむことができる自分。

    来週末は弾丸ツアーで京都へ。
    半分お仕事で時間はあまりないけれど、
    ガイドブックを買ったり借りたり、
    日常の延長として気負いすぎずに
    旅の楽しさを味わってこようと思う。

    修行はつづく...

    • 2015.10.29 Thursday
    • 10:36
    続『魔女の宅急便』。

    修行期間が終わったら一人前、というのではなく、
    13歳以降のキキも、仕事やら恋愛やら、
    ライバルの登場や葛藤を経て少しずつ成長していく。


    一つ一つのエピソードと、そこに描かれるキキの心の動きが、
    いちいちもどかしくて、はがゆくて...
    同じ年の頃の自分に比べたら、自立もしててすごいなって思うけど、
    それでもこんな風に思ったり感じたり、
    うまくいかないことがあるものなんだ、って。

    きれいなばかりが物語ではない。
    人生なんて、もっとそういうもの。
    だけどそれだから豊かなのだということ。
    あの頃の自分が同じものを読んでいたらどう感じただろう?
    きっともどかしすぎて耐えられなかったかもしれない。
    ケケの出てくるシーンなんて、特に...
    でもきっと、ライバルの存在に苦しんだ今だから気づいたこともある。
    今の私でも間に合うのかなって思うんじゃなくて、
    今の私に必要だったから、この本の存在があった。
    そう考えるようにしよう。
    同じところをぐるぐると回っているようだけれど、
    微妙にその場所は違っているのだから、
    ただ同じ場所であるというように感じて落ち込むのか、
    違いに気がついて軌道修正をするのか、
    この差もやはり小さいようでいて、
    結局はその積み重ねになっていく。

    想像力が豊かな作家の書いた物語は、
    それだけで十分に豊かであって美しい。
    自分の中の壁も軽々と超えているように感じられる。
    けれどもあくまでその物語の中だけの世界。
    そこにいれば安心していられるけれど、
    終わってしまえば自分の現実に戻らなくてはならない。

    ひとりひとりの人間の中にも同じように物語があって、
    人が生きていく限り良くも悪くもどんな形であれ、
    誰かや何か、外の世界につながっている。
    どうも身近な現実とのつながりが弱くって、
    それが生きる力をも、弱々しく感じさせる要因になっている。

    身近な現実とはまず、自分自身。
    悪いところばかりが目についてしまう。
    こんな風に書く事でも、考えることにすごく時間がかかってしまったり、
    ああでもないこうでもない、と、書いては消し、
    あげく全部消してしまおうと思ったり、
    もう書くのをやめようかなと考えたり...
    誰が見てるわけでもなく、誰が評価するわけでもないものなのに、
    自分のそういう悪い癖が、自分自身を苦しめているだけ。

    キキの物語で客観的にそれに気づくことができた。
    心の中で感じているだけでなくて、書いてみることで、
    自分自身をも客観的に見ることができるのかもしれない。
    そう思ってひさしぶりにブログを開いてみた。
    きれいになんてまとまらなくてもいいから、
    とにかく言葉を綴ってみたい。
    自分のため、自己満足、それでいい。

    それでも少し長くなりそうだし、
    自分のためにも分けて書いてみよう...

    『魔女の宅急便』読書感想文はつづく。

    魔女の贈り物

    • 2015.10.14 Wednesday
    • 18:30
    「どうしてキキは飛べなくなったんだっけ?」

    ふと思って、映画『魔女の宅急便』を見てみた。
    いい大人なのに(わるい大人だから?)
    見ているとボロボロ泣けてしまった。
    飛べなくなる直前、ジジに向けて言ったキキのセリフ、
    「ともだちができて嬉しいはずなのに、
     素直で明るいキキはどこにいっちゃったんだろ?」
    話しかけても「ニャア」としか言わないジジ。
    ジジの言葉がわからなくなって、
    魔法が消えてしまったことに気がつく。


    これが今のスランプのような状況から抜け出すヒントなの?
    そのあと、やたらと目に耳に入ってくる「素直」という言葉。

    13歳と34歳(!)じゃぁえらい差だけど、
    がんじがらめで前にも後ろにも進めない今、
    ここは素直に、この少女の物語から学んでみよう。
    そう思って、こんどは原作の小説に手を出してみた。

    2時間弱にぎゅっと詰め込まれた映画と原作との
    細かな違いは置いておくとして、
    ひとつひとつの物語が、自分自身の出来事と重なって、心に響いてくる。
    もっと早く出会えていれば、なんていうのはけっきょく、
    私が成長できていなかったから無理だったんだ。
    素直じゃなくて先延ばしにしてしまっていた、
    今だからこそ気がつけるあれこれ。

    最初は思うように読み進められなくて、
    それこそ素直じゃないからすっと心に入ってこない。
    だけど、情けなくても覚悟を決めて、全部読むんだ。
    キキの成長とともに、頑なだった心が、解けていく。
    肩の凝りも解けてくれるといいのだけど、
    それはきっと、もっと身軽に動けるようになったら、
    じょじょにほぐしていけばいい。

    川向こうへの夕方のおつかいに、
    時々の朝の散歩コースを歩いてみた。
    不安や否定でいっぱいになっていた心は
    少しずつまた軽くなってきたみたい。
    魔法ってつまり、信じること。

    大丈夫、私も飛び方を思い出してきたみたいだ。

    退化と成長

    • 2015.10.05 Monday
    • 21:42
    2年ぶりのこのブログ。
    ちょっとは進歩が見られればいいのに、
    そもそも、ほったらかしにしてる時点で、
    継続できない自分の悪いところが
    ちっとも治ってないんだという証拠。
    そうやって、自分を責めてばっかりいる。


    大好きだったはずの甘いものが苦手になりつつあって、
    でも体に悪いからいいいんだと、自分を正当化するような言い訳で、
    無理やり納得させようとしていたら、
    大好きだったはずのものや人をも避けるようになってしまって、
    まわりまわって、自分を追い詰めていることになっていた。

    好きなのに、楽しいのに、嬉しいのに、
    その気持ちを認められず、罪悪感でがんじがらめになっていた。

    本当は、お昼ごはんを食べに行ったカフェで、
    ハプニングでごはんが食べれなくって、
    ひさびさに頼んでみた甘いもの。
    食べたあとに、すすめられるがまま読んだのは、
    『潔く柔く』というマンガ。
    数年前に同じくすすめられるがまま読んでいたけど、
    ストーリーも何も忘れていた。
    あの時から大きく変わったつもりでいたけれど、
    なんのことはない、都合よく忘れようとしていただけ、
    自分の気持ちから目をそらしていたのだ。

    1巻を読み始めて、忘れていた何かが心に染み込んでくる感覚があった。

    何がどうして、こんなに心を閉ざしていたのだろう。
    子どもの頃だって今だって変わらず、
    人を好きでいる気持ちや恋をする気持ちがあるのに、
    いつだって何か別のことを気にして、
    その気持ちに向き合えないでいた。
    「次に人を好きになる時は、自分の気持ちに正直でいよう」
    そう思えて、出会えた人だったのに、
    やっぱり他のことが気になってしまって、
    自分の気持ちから目をそらしていた。
    相手のことも思いやれなくなっていった。
    ちがうかも、最初から、求めてばかりだった。
    ダメな自分でも好きでいてほしい、
    嫌われるのがこわい。
    そうして自分を落としていった。
    自ら未来を閉じていた。

    いいかげん、変わろうよ。

    宇宙にくらべたら、ちっぽけな

    • 2013.10.14 Monday
    • 20:28
    ある日に買った2冊の本。
    『二十億光年の孤独』(谷川俊太郎)
    『きみはポラリス』(三浦しおん)
    奇しくも、あるいは無意識が手に取らせたのか、
    両方とも、宇宙を連想させるタイトル。


    そういえば星座表のアプリをダウンロードしたのも最近。

    「二十億光年」ってどのくらいなのか、そんなに生きられるわけでもないから、
    消えない孤独感もくしゃみひとつで忘れてしまえるくらいでいい。

    小学校ぶり、そう言ってパラパラと本をめくって眺めていたあなたは何を思っていたの?
    聞きたくても聞けなかったけど、ただそこにいてくれたら、言葉なんていらない。

    ポラリス(北極星)ほどではないけれど、
    遠くても確かにそこにいるから、
    手が届かないような気がしてしまうから、
    求めてしまう?

    目の前のことがうまくいかなくて、彼方のことを想うのが、救いになっているような。
    現実と本の中とは違う世界だけれど、目の前と宇宙との距離とはどっちが近いのだろう?
    宇宙から見たらちっぽけ、と言われても、
    ちいさな人間からしたら、相対的に、悩みは大きく見えるもの。
    飲み込まれそうになったら、本の中に逃避して助けてもらえることもある。
    人間関係に悩み、恋愛は救いであり永遠の謎。

    いろんな形の恋愛があるってことは、いろんな人間がいるという前提。
    誰もが孤独で、それゆえに惹かれあう。
    そろそろ自分に自身を持って、もっと正々堂々と、愛したらいいんだ。

    かしこくなりたい

    • 2013.06.27 Thursday
    • 00:30
    小学校ぶりだろうか、『スイミー』に再会。
    ”ほんものの”スイミーに出会ったのは、福島の水族館。
    これはきっと何かのタイミング、
    その1週間後、”ほんとうの”スイミーに再会することになった。

    渋谷Bunkamuraでレオ・レオ二展があるんだって、
    しかも、東京に行く予定だった日の2日前に始まるなんて。
    ほんの一時間ほどの滞在時間は駆け足だったけど、
    図録を買うことにすれば諦めもつく、それなりに十分に味わうこともできた。
    もちろん、時間のある人にはゆっくりゆっくり滞在してもらいたい空間。
    ところどころ置かれたベンチではもちろんレオニの絵本がじっくり読める。

    レオニとの出会いは小学校。じつは『スイミー』よりも
    『アレクサンダとぜんまいねずみ』の印象が強かった。
    「たすけて、たすけて、ねずみよ!」の始まりは、
    友達が繰り返し読んでたことも強烈な思い出だけど、
    小学生ながらにそのドラマチックな導入に魅せられていたのかなぁ、
    なんて、今だから思うのか。

    だけど、かわいいねずみや美しいコラージュのその奥に、
    実は作者その人の哲学や思想や人間臭さが隠されていたなんて。

    ただただ、ほのぼの、癒されに行こう、って思っていた展覧会、
    思わぬ核心に触れられ、涙が出そうになる。
    表現したいことって、言葉だけでは伝わらなくて、
    たとえばそれが美しい絵画だったり映像だったり、
    ちがった言葉で書かれた物語だったり…
    求めすぎても出会えなくて、ふっと力を抜いた時に心にも隙間ができて、
    すぅっと染み込んでくるようにして、受け止めることがようやくできた。

    レオニの作品を通して見えてくるのは、まぎれもない「自分」。
    どうして、ねずみやワニや魚が、自分と結びつくのか?
    人物に自分を重ね合わせることは難しい、動物や「ぽとっと落とした丸」ならば、
    たちまちそれになりきって想像の世界に入っていける、と作者は言う。
    「子どもは」とも言っているけれど。

    無意識に想像の世界に入り込んでしまった私は、
    感情移入するというのではなく、客観的に自分を見れた。
    そんなに感情的な作品じゃないところが良かったのかもしれない、
    あまりに感情的で自分の世界に閉じこもっていた自分を、切り離すことができた。

    大げさに言えば自分との再会、のその次の段階に『スイミー』は位置づけられる。
    展覧会の日はそこまでたどり着けなくて、
    プロジェクターで映し出されたデジタル水族館に、こどものようにはしゃぐだけ。

    何年ぶりかに読んでみようと、ちいさなペーパーバックを買って、
    次の日の昼、ピクニックのおともに。
    一人になりたくて山奥に車を走らせ、さらに細い山道を抜けた先。
    ごうごうと流れる滝の横に特等席を見つけ、声に出して読みあげた。



    知恵と勇気を身につけることが、スランプのようなここ数ヶ月の解決策であり、
    それを分かち合うことが、これからの自分の課題。

    庭の本たち

    • 2013.05.26 Sunday
    • 23:00
    頭ばっかりで、手が動いていないけど、気がつけば庭関係の本がこんなにたくさん。
     
    一番手前は、最新の「黒田兄弟の植物図鑑」。
    黒田兄弟って誰よ?と思いながら、ジャケ買い。

    フランスで買ってきた実用書的なコンポストの本、
    デンマーク的な週末農場を小田原につくった「イェンスの畑づくり」、
    NYで庭仕事を楽しむAlysのおしゃれげなガーデニング本、
    図書館から借りてきた「畑仕事の十二ヶ月」、
    「雑草と楽しむ庭づくり」は今まさに実践中、
    固定種の種もとりたいなぁ「日本の伝統野菜」勉強中、
    育てるだけでない楽しみ方満載の「週末だけのキッチンガーデン」。

    絵本のセレクトも、植物や野菜のものが気になり出すととまらない。
    「にわのともだち」は、園芸家さんの描いた絵本。
    ペアで「じょうろさん」と読むともっと楽しい。
    ちいさな庭を背負ったカメの「MOSSY」は、「ぼうし」という作品で知った
    Jean Brettの作品。ページを額縁のように装飾した画が特徴的。
    細かい描写にもため息が出そう。
    クラシックなのも好きだけど、現代っぽいものにも目を通すと意外とおもしろくて、
    「じっちょりんのあるくみち」は立ち読みで出会ってやっぱり手に入れました。
    コンクリートの隙間から生えてる草たちがもっと愛おしくなります。
    「ふしぎなたね」は、<美しい数学>というシリーズの本、
    「一粒食べればお腹いっぱいになるけど、植えて1年すれば2倍に増えるよ」
    という、農業初心者からしてみたらそんな簡単に育つとも思えないし、
    だいいち主人公はなまけものだし、という内容だけど実は奥深い寓話。
    来週は私も田植えをします、田植えが10倍楽しくなりそうな
    「おむすびさんちのたうえのひ」。
    8列とか10列一気に植えちゃうタコやイカさんは田植え機みたいなもんで、
    みんなで協力してやる、ってのがミソ。それがない実家の田植えはつまらない。
    同じく、今は亡き作家かがくいひろしさんの「はっきよい畑場所」も外さない、
    夏になったらぜひとも野菜たちに畑でひしめき合っててほしい…
    そんな妄想を繰り広げながら、大きくなぁれと声をかけながら野菜を育てます。


    後出し。カレル・チャペック「園芸家12ヶ月」、何ヶ月遅れかで読んでみよう。


    腰痛のカタルシス

    • 2013.02.08 Friday
    • 15:30
     『腰痛放浪記 椅子がこわい』 夏樹 静子(新潮文庫)を読んだ。


    「腰痛」と一言でいっても様々。
    よく耳にする言葉だから、たいしたことないって印象も。
    こう書いてしまうと、自分の今の状態すら、たいしたことなく見えてしまう。

    ひどいときは、起き上がるのがつらい、立っていることすらできない。
    今はこうしてパソコンに向かっていられるくらいだから、
    少しおさまっているんだけれど、座っているのも5分くらいが限界。

    集中できないから仕事は進まないし、何より痛みに耐えられない。
    ほんの少し体を動かすだけで痛むときは、
    じっと耐えて波が過ぎ去るのを待つしかない。
    その間、何もできないことと、なんでこんなことになってるのかという
    情けない気持ちとが、激しく自分を落ち込ませる。

    いくら書いたところで、経験者にしかわからないものなんだろう。
    同じ経験をしていたところで、本を読んでも、どこかリアリティーが感じられない。
    作家の表現が好みでないとかオーバーに書いているとか、そういうことではない。
    痛い時はただただ、痛みと対峙するしかなくて、共感したところでどうにもならない。

    体ぜんぶの自由を奪うほどの「腰痛」はこれで4回目。
    2010年7月以来、およそ10ヵ月ごとに現れては、
    2週間〜1ヵ月、地獄のような苦しみを与えては去っていく。
    <疲れが溜まっている><疲労骨折><骨格のゆがみ><ヘルニアの疑い>…
    なんだかどれも、もっともそうでいて、納得できないのは、私が素直じゃないから?
    おとなしく休んでいられないのは、性格のせい?
    だけど、回を追うごと、落ち込み方は激しくなり、焦燥はますます大きくなっていく。
    前回の発症を受けて、『ヒーリング・バックペイン』『腰痛は怒りである』という2冊の本を読んだ。
    不可解な「腰痛」は、体の構造異常(骨格の問題やヘルニア)から来るものではなく、
    心因性のものであるということ。わかったような、わからないような、
    でも、具体的な対処法を示してくれない医者の言葉よりずっと腑に落ちた。
    まぁ、それが「心」という形のないものを扱っているわけだから、
    素人でもどうとでも解釈できちゃうんだけど。

    そんなこともあって、もう外科的な治療は意味がないと思いこんでしまったので、
    またじっと耐えるしかないとタカをくくっていたが、
    たまたま縁あって知り合った接骨院の先生に診てもらうことにした。
    最初は普通の治療、で、今回も結局同じかも…と諦めかけたころ、
    「心身の関連をみながら治療していくプログラム」をもちかけられた。
    あぁ、これはもう運命、なんて言っては大げさだけど、
    今回の発症の直前に知りあうなんて、よほど因縁めいたものがあったのだなぁ。

    それでももちろんすぐに治るなんてことはなくて、
    やっぱり体の問題かも、と疑っては、弱音を吐いたり、
    駆け込んだ鍼師に匙を投げられてそれでも打ってもらった鍼はぜんぜん効きめがなくて、
    あとは病院に行くしかないのか、でもなんかどうしてもイヤ、
    だったら安静にしてるほうがマシと引きこもったりしてまた落ち込んだり。
    今少し客観的に見て、それじゃぁよくなるものもならんなぁ、なんて思えるけど、
    言いようのない不安は自分の中でどんどん膨らんでいく一方で、それをどうにかしたかった。

    痛くて動けない。誰とも会えない。寂しい。
    無理して出て行ったところで、一つの動作にふだんの倍以上かかるから、
    もどかしくてイライラして、人に迷惑をかけるばかり。
    こうしてる間にも周りはどんどん変化していって、一人だけ、おいてかれてしまう。
    旅行に行きたかったのに、腰痛のせいで有給休暇がなくなっちゃう。
    時間ができたらあれもこれもしたかったのに、できない。
    何してるんだろう、情けない。

    ネガティブにならないなんて無理。

    休んでいても、そんな考えばかりが浮かんできて休めない。
    寝てばっかりいたらまた落ち込む。

    悪循環。

    唯一、ここ数カ月ほとんどできなかった、読書ができると思えたことが救い。
    腰痛に関する2冊を読んで、読みかけて放置していた数冊に手をのばし…
    だけど、腰はよくならない。

    なるべく普通に生活すること、と接骨院で指導されても、
    頭でわかっていても体がいうことを聞いてくれない。

    6日間の休みのあと、もうどうしても仕事に行かなきゃ、って思って、
    ふと前回の時にやってもらったレイキヒーリングを思い出してお願いする。
    少し楽になったような、だけど、体が少し良くなると、心がそれを邪魔する。
    せっかく仕事に出てみても、痛みは容赦なくて、立ったり座ったり、うろうろしたり。
    来てる意味あるんだろうか?だけど休んだらまた落ち込む。

    …と、本に関係ない自分のことばっかり書き連ねてしまった。

    ちょうどその時に、接骨院の先生に、この本を渡されたのだった。

    「遺書になるかもしれない」という書き出しの本は、
    それでも全体としてここまでネガティブではない。
    それは、治った後に編集・出版されたから、ということもあるだろう。
    ヒントを探しながら、それでも飛ばし読みしないで、
    最後まで読んだら治るかもしれない、なんて淡いけどしたたかな期待も裏切られ・・・
    症状は続行中。それでももしかして、心因性とか心身症ということについて、
    理解が深まったことは何かの助けになるかもしれない。
    著者と自分の状況を比べて、違いや共通点を探したところでなんにもならない。
    ネガティブだろうがネクラだろうがひねくれていようが関係ない。
    理解したことが間違ってなければ、自分の「潜在意識」に答えを見出すしかない。

    でも、どうやって?

    宿題の読書感想文を持って、今日も接骨院に治療に行く。
    いきおい、10枚くらい書けそうな気がしたけど、
    調子に乗ってたら痛みがぶり返す。きっちり、指定通り5枚に収めた。

    夏樹静子みたいに、書いてしまうこともカタルシスになるのかな、と、
    原稿用紙におさまりきらない溜まっているものを、ここに吐き出してみた。
    それともいっそ、休筆した夏樹よろしく、
    インターネットをやめてしまうべきかなぁ、とも思うけど、そこまで強くない。
    いつか、治った時のことを、加筆できたらいいんだが。

    降ってきた

    • 2012.12.13 Thursday
    • 16:27
    グレーの空に舞いおりる初雪の美しさ。
    毎年毎年、なんだか嬉しくなる瞬間の気持ちを、見事に表現している絵本。

    だけどおとなは知らんぷりだったり、うんざりしてたり。

    いつも同じ、またあの季節が巡ってくるものと思っていたら、
    ここのところ雪は予測不可能な降り方をする。
    この3日間も、降り初めにしてはありえない量。
    Tombe la neige.
    雪が降る、「落ちる」というフランス語訳(誤訳)のほうがしっくりくるくらい。

    いつも万全な対策も、間に合わない。
    仕事に遅れる人、休日に出かけたのに目的地に行けない人。
    いちばんひどい日はたまたまお休みで、
    午前中は家にこもってニュースも見ずにいた私は、
    「それでも知らんぷりな大人たち」といい勝負?
    ラッキーだったのだということにしておこう。

    優先順位

    • 2012.11.25 Sunday
    • 20:00
    本のブログを始めてみたものの、ほっぽらかすこと3ヶ月はあたりまえ・・・
    もうひとつの日記も、更新出来る日は少ない。
    たまっていく写真と消化不良なことばたち。
    人と会って話すことで解消されていくけれど、
    時折どうしても、一人になって噛み締める必要もある。
    いそがしい、疲れた、ってつい言ってしまって、後悔している。
    そんな時間があったら、本を読みたいよなぁ。

    あとわずかな今年の目標。年内に、読みかけの本を読むこと。
    宣言したからには、とその日のうちに
    10ページばかり残っていた一冊を終わらせたけど、
    持久力がないから、あと数日が勝負?
    せっかく読んでも数をこなすだけじゃなぁ・・・モゴモゴ。


    そうそう、忘れてしまっているのだ、読んだことだったり、その時感じた気持ち。
    だから、ここにきちんと残しておきたいと思っていたのだ。


    『魚神 いおがみ』 千早 茜

    10月の半ば、長岡までの電車旅の前に買った本。
    2駅行けば友達と合流だから、そんなに時間はなかったのだけど、
    電車だからなんとなく、本が欲しくなった。
    クルマだと読めないから、持ち歩かなくなってしまって、
    ちょっとした待ち時間によく後悔する。
    昨日会った人のバッグには本がぎっしり入ってて、あぁいいなぁと思った。
    重いけど・・・重いから、持ち歩くのは、文庫がいいな。

    と、軽い、小説にしようと選んだんだけど、その時の気分は、どんなだったんだろう。
    宇野亜喜良さんの表紙に惹かれたのだったか?
    もうひとつ書店に並んでいた物語と、迷ったような覚えもある。
    選んだのは、より、重苦しいほうだったような気もする。

    愛や恋を、どうしてもっと楽しめないのだろう、とつくづく思う。
    友情も愛の形だとしたら、それはきっと楽しめている。
    家族とか恋人とか、特別だって思うから、辛くなるのかな。
    もっと自然に受けとめられるようになるまで、どのくらいかかるだろう。

    うーん、悩まないことがいちばん。なるようになる。
    選択肢は無限にある。だから迷う、って贅沢なこと?

    小説は、逃れられない運命を背負った人々の物語。
    自由すぎる現代社会の対岸にある、閉塞した世界が舞台。
    夢も希望もない中で、愛する者だけが生きる望み。
    重すぎる、でしょう。
    まとわりつくような絶望的な空気感。
    だけど、現実にもそんな境遇で生きてる人がいるかもしれないということ。
    自分にそんな強さがあるかといったら、ないだろう。
    運命に真っ向から立ち向かうのでなく、逃げ回ってきてしまったのではないか。

    かといって、運命と勝手に決めつけてそれに甘んじてることももうできなくなってきた。
    受け入れてもらえようがなかろうが、真剣に愛してるなんて言えない、
    なんてこともないんだ。ないんだけど、常に不安なのは立ち向かっていないから。
    本当に閉塞してるのは何だろう?自分の心?